研究室の選び方
社会人になってから痛感するのは、みんな議論をしたことがない、ということだ。
意見を共有し、おしゃべりをするのが得意な人は多い。彼らの中には、あたかも正論を喋っているかのような喋り方ができる人もいて、感心してしまう。
しかしかながら、議論になっていないのだ。
テーマに関する話をぺちゃくちゃ話しているだけで、一切問題解決ができていない。
次年度のイベント内容を決定するはずが、これまでのイベントに対する愚痴大会になっていたり、
既存の企画案を検討するはずが、批判大会になり改善案が決まらない。
みんな批判や否定は上手だなとつくづく思う。しかし、叩き台がないとき、つまりは、0から1を作り出すときには、決まって黙りこくる。
これが今の学生である。
さて、タイトルの件だが、
ずはり厳しい研究室を選ぶべきである。
そして、論文をいくつ出しているかで判断するとよい。
いい意味でポンコツ
先日,お世話になったバイト先に挨拶をしてきました.
あまりシフト入ってなかったのに,寄せ書き書いてくれて嬉しかったです.
以前後輩に,どうしてそんなに子どもたちのために頑張れるのですか,と言われたことがありました.
頑張れる源は,自分自身の経験にあります.
例えば,大学院を退学した経験も,活力となっているのかなと思っています.
ぽんこつな自分に出会うたびに,できないことをできるようにすることの難しさと,ただ頑張ればできるようになるわけでないということを痛感します.
こんな自分だからこそ,「できない」と向き合う子どもたちのために頑張れるのだと思います.
気楽に,頑張っていきたいですね.
「我慢する」を美学とすること
先輩と話していて,ふと思ったことを綴ります.
「必ずしも,我慢することが良いこととは限らないよね〜」
という話をしていまして,その考えに反対するわけではありませんが,
時代の流れに悪乗りして,わがままする人が多くなったら困るなと考えてしまいます.
働き方改革やらパワハラやらという言葉は,我慢しない時代だからこそ生まれた言葉ではないでしょうか.
もちろん,個に応じた働き方で,他者と協働的に働いていくことが求められます.
しかし,中には働き方改革だと言って,何があっても定時に帰る人だったり,上司からのアドバイスをパワハラだと訴える人だったりは,正しいのでしょうか・・・
我慢しないことが良いとされるとき,されないときの境界線はどこにあるのでしょう・・・
人それぞれ独自が作る境界線であっては,正しさの基準がバラバラになってしまいますね.やはり,所属する組織の中で境界線があるべきだと思います.
組織づくりというのが,今後ますます大切になってくるなあと思いました.
私そこらの人と違うんです問題
最近気になっている身近な人の話です.その人は所謂,意識高い系の大学生のアルバイトの男の子です.
「このバイトしてなかったらコピー機の使い方知らなかっただろ?」
「使えない大人にならないように,コピー機の使い方教えてやるよ」
んんんんん・・・?
え,レポートとか論文書いたりとかで,コピー機使いません?
もしかして,サイボ◯ズみたいにペーパーレス化してる?ならいいけど・・・そうでもなさそう.
この男の子,とても頑張り屋さんで自分の意見をしっかり主張する子ではありますが,どうも理論がない・・・.主張というか,思いをつらつら述べているだけの印象.
それで?と言いたくなるような内容を,あたかもすごいこと言っているかのように仰せられるので,周りの人たちもあしらっているような状況なのです...
どうにか教育してあげられないだろうかとも思いますが,周りにネガティブを拡散してしまうので,扱いづらい・・・
1の仕事しかできない人から,10の仕事がしたいと言われたらどうしますか?
自己主張が無い人間は,本当に主体性が無いのでしょうか・・・
感情で動く自己主張人間の方が,むしろ無責任なのではないでしょうか・・・
主体性とは
久しくブログを更新していなかったので,
特にネタがあるわけではないけれど,徒然なるままに書き記そうと思います.
「主体的である」ということ
最近,主体的であることとは,一体どういうことなのか考えておりました.
私の結論,
自分で選択すること
に集約されるのではないかと考えています.
具体的に,どういう考えなのかを説明していきます.
「主体的でない」ということ
例えば,こういう人たちは主体的でしょうか?
- なんとなく,やりたくないことをやらない
- 上司の仕事の振り方についての文句を愚痴る
これらは,そもそも行動を起こしていない点で,主体的でないと考えます.
いますよね,ただ愚痴だけ感情的に並べて,あたかも正義ぶる人.笑
そんな暇があったら,その課題を解決するための頭を働かせればいいのに・・・
また,このような場合はどうでしょうか?
- 親に言われたので,勉強を毎日10時間している
- 上司の命令をひたすら正確にこなし,1mmのずれを生じさせない
- 大学の授業をただこなす
上記の例は,いずれも「本人の意思」を持って取り組んでいない点で主体的でないと考えます.
行動を起こしているんだったらいいじゃない,という声が聞こえそうですが,
こういう人たちって,なにかあったとしたら「上司の指示が悪い」「親のせいで遊べなかった」などと誰かのせいにして文句を言ってそうです.
「主体的でない」の共通点
これら2つに共通するのは,冒頭でも述べた自分で選択することをしていない.
そもそもやること・やらないことの内容を自分で選択し,
実際に行動に移す・移さないも自分で決定するということが主体的であることなのかなと考えます.
まとめ
自分で選択するということは,必然的に責任が発生します.
なぜなら,自分で選択・決定している時点で,他の誰のせいにもできませんからね.
私は,誰かを教育する際には,必ず本人に選択させることを意識しています.
よく使うコマンド一覧【備忘録】
よく使うコマンド一覧
アドレスバーにカーソル移動 | ⌘+l |
新しいウィンドウを開く | ⌘+n |
開いている次のタブに移動する | ⌘+option+右or左矢印 |
新しいタブを開いてそのタブに移動する | ⌘+t |
現在のタブまたはポップアップを閉じる |
⌘+w |
Google Chrome を終了する | ⌘+q |
ブックマーク バーの表示と非表示を切り替える |
⌘+shift+b |
ブックマーク マネージャを開く | ⌘+option+b |
会社のPCはwinだから不安でしかない・・・
慣れるかな
データベース
データベースについて勉強したので,まとめ.
データベースとは
・wikipediaより
(コンピュータによる情報処理で)蓄積・検索・更新などに便利なように有機的に整理された情報の集まり
・大辞林より
コンピュータで、相互に関連するデータを整理・統合し、検索しやすくしたファイル。また、このようなファイルの共用を可能にするシステム。
特定のテーマに沿ったデータを集めて効率的に管理し、使いやすくしたもの
wikipedia等では,上のように定義されています.
つまり,データを便利に使えるように整理したもの,といったことでしょうか.
ここで,よく「リレーショナルデータベース」という言葉を聞きますが,どんな特徴があるのでしょうか
「テーブル」といわれる表形式の構造でデータを管理する関係モデルを使ったデータベース
関係(リレーション; relation)は、見出し (heading) と本体 (body) から構成される。 見出しは順序づけられていない属性の集合である。本体は順序づけられていない組の集合である
n 項の関係の本体は n 組の集合から構成される。ある関係の見出しはその関係に含まれる組の見出しでもある。
見出しと本体,エクセルのイメージをうける