主体性とは
久しくブログを更新していなかったので,
特にネタがあるわけではないけれど,徒然なるままに書き記そうと思います.
「主体的である」ということ
最近,主体的であることとは,一体どういうことなのか考えておりました.
私の結論,
自分で選択すること
に集約されるのではないかと考えています.
具体的に,どういう考えなのかを説明していきます.
「主体的でない」ということ
例えば,こういう人たちは主体的でしょうか?
- なんとなく,やりたくないことをやらない
- 上司の仕事の振り方についての文句を愚痴る
これらは,そもそも行動を起こしていない点で,主体的でないと考えます.
いますよね,ただ愚痴だけ感情的に並べて,あたかも正義ぶる人.笑
そんな暇があったら,その課題を解決するための頭を働かせればいいのに・・・
また,このような場合はどうでしょうか?
- 親に言われたので,勉強を毎日10時間している
- 上司の命令をひたすら正確にこなし,1mmのずれを生じさせない
- 大学の授業をただこなす
上記の例は,いずれも「本人の意思」を持って取り組んでいない点で主体的でないと考えます.
行動を起こしているんだったらいいじゃない,という声が聞こえそうですが,
こういう人たちって,なにかあったとしたら「上司の指示が悪い」「親のせいで遊べなかった」などと誰かのせいにして文句を言ってそうです.
「主体的でない」の共通点
これら2つに共通するのは,冒頭でも述べた自分で選択することをしていない.
そもそもやること・やらないことの内容を自分で選択し,
実際に行動に移す・移さないも自分で決定するということが主体的であることなのかなと考えます.
まとめ
自分で選択するということは,必然的に責任が発生します.
なぜなら,自分で選択・決定している時点で,他の誰のせいにもできませんからね.
私は,誰かを教育する際には,必ず本人に選択させることを意識しています.